新刊紹介

GURUTOGI 3月号 イ・サンウ インタビュー

GURUTOGI 3月号 イ・サンウ インタビュー

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最初は学生の音楽活動の一環でしかなかったものが、1988年の江辺音楽祭での金賞受賞をきっかけに歌手デビュー。歌手としての活動とともに、ラジオDJ、またドラマへの出演でも活躍。日本では人気韓流ドラマ「美しき日々」のオ・ジョンフン役で、主役ではないもののそのキラリと光る演技が、ドラマのスパイスとして際立っていた。
また、プロダクション、ボーカルスクールの経営も手がけ、自分の表現だけでなく、若い人を育てることにも力を注いでいる。
最近ではKBSテレビ「人間劇場」で、自身の長男の発達障害について取り上げられ、福祉の仕事も手がけるようになっている。

‘あまりにもでたらめなボーカルスクールが多いので、実際に手本となるようなまともなボーカルスクールを人々にお見せしなければと始めました’

歌手 イ・サンウ インタビュー

Q1.歌手になったきっかけを教えてください。
A1. 私歌手になったきっかけは、江辺歌謡祭の出場です。そうですね、子供の頃から学校で歌ったりして、歌唱大会にも出ましたが、歌手になろう、という考えは特にありませんでした。でも、大学時代、友達が江辺歌謡祭に出ようと提案してきたときに作った曲が「悲しい絵のような愛」でした。その歌を歌ったことで、歌の道に入りました。

Q2.江辺音楽祭で金賞を取られたときはどんなお気持ちでしたか。
A2. フフフ、とても気持ちが良かったです……実のところ、歌手になるつもりはなかったのですが、とにかテレビに出るという事実だけでも相当に自慢の種でしたし、とにかくやたらと浮き足だっていましたね。でも、当時その時の私は、それでも歌手になるつもりはなかったんです。

Q3.歌手、芸能人を仕事としていこうと思われたのは、いつごろで、何がきっかけでしょうか。
A3. 歌手になるつもりはなかったと言っていたんですが、歌謡祭が終わり金賞をうけてから、多くのレコード会社から電話がかかり始めました。
当時、大企業の社員の初任給が30万ウォン位だったんですが……ウワッ、契約金に500万ウォンをくれると言ってきました。それでも歌手はできないような気がしていました。あまりにも別世界のような気がして、私のできる仕事ではないと思いました。ところが、時間が少したってからの話では1000万ウォンをくれると言ってきました。これはすごく大きいお金じゃないですか。それで一応このお金は必要だろうし、もらわなくちゃいけないと思って、この契約金をもらったのが今の仕事を続けていくきっかけになったはずです。

Q4.歌うときと演技するとき、何かご自身で気持ちを切り替えていらっしゃいますか。切り替えるとしたら、どのように切り替えていらっしゃいますか。
A4. 変えることはありません。歌う時や演技する時も感情を表現することは同じです。特に違うと考えたことはないですね。集中力を持って、私が持っていた感性を率直に表現し出すのが、歌で表現することと演技で表現することはとても違うのです。一種のそのような面で、歌で表現する方が私の立場では、はるかに簡単でした。演技は表情で表現しなければなりません、そのような面で歌で表現することが私の立場でははるかに容易でした。演技は表情やこうしたものがすべて出さなければいけませんが。もちろん歌手でなければ歌で感情表現するのがさらに難しいこともありますが、私の場合はやはり歌の方が容易でした。

Q5.最近のお仕事、アルバムの制作、また、出演するドラマや舞台などについてお教えください。
A5. 最近だと、KBSの旅番組のMCをしたり、ラジオのDJをしました。あと、ドラマは最近出演はしていないですね。イベントやコンサートのステージにはしばしば出ています。アルバムは、新しいアルバム出してから10年が過ぎました……ところで今新しいアルバムを久しぶりに準備しています。途中、事業をしていたので、実際のところ芸能人としての活動からは少し遠のいたことは事実です。

Q6.今後の活動の予定、特に日本での活動の予定がありましたらお教えください。
A6. 日本での活動の予定は今のところほとんどありません。しばらくするとアルバムが出ますから、出れば少しは本格的に放送に出るとは思いますが。歌手というものは、アルバムが出ると活動するためのきっかけが用意されますから、そんな意味で今度は放送にもう少し気を使おうかと思ってアルバムを出すんです。歌手のテ・ジナ氏が、私のアルバム製作に手助けしてくれます。テ・ジナ氏のおかげで、また こういった活動をするようになりました。

Q7.先日の記事で、息子さんの障害について知りました。このことを発表されようと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか。
A7. あ~実は私が芸能人なので、上の子供が発達障害があって教会に行って、学校にも行ってうわさが立ち始めました。記者たちが度々記事を書くようになって、少しずつ少しずつ人々に知られていくところに、私が先にテレビを通じて「人間劇場」という番組を通じでカミングアウトしたのです。その番組のプロデューサーに私が説得されたのは、障害児を育てる親たちに希望を与えましょう、障害児を育てているという事実が必ずしも不幸であるという必要はないんですから、明るくて活気に満ちてさっそうとよく暮らしているという姿を見せましょうという言葉に私が動かされて、カミングアウトをするようになったんです。

Q8.息子さんを通じて、新たに福祉の仕事にも乗り出されましたが、どのようなお気持ちからでしょうか。
A8. 事実、韓国ではまだ発達障害の福祉があまりにも不備です。それで障害がある人々の福祉に私が少
しでも役に立つに値する仕事はどんなものがあるだろうか微力を捧げている程度で、何か大きな事をしようとしているわけではありません。それより私が事業をしている理由もお金をもうちょっと作って発達障害児たちが年を取ってから、一生生活することができる環境を作るための私の個人的な目標と同時に希望があります。

Q9. ボーカルスクールをされて、また、福祉のお仕事を始められていて、自分の表現だけでなく、教育的な内容にも仕事の重点を置かれていますが、表現と教育、なにか違いがありますか。
A9. ハハハ。うーん……質問が少し難解ですが、福祉の仕事とボーカルスクールでの教育の仕事がどう違うのか、何というかこんな話として受け入れますが、完全に別の仕事です。ボーカルスクールは今、まさに大韓民国はオーディション旋風のためにボーカルスクールが全国に2000箇所もあって大騒ぎです。そんなわけで、レストランの経営者がお金のために、あるいはクッパ屋の主人もボーカルスクールを開講したりと、あまりにもでたらめなボーカルスクールが多いので、実際に手本となるようなまともなボーカルスクールを人々にお見せしなければと始めました。

Q10.ボーカルスクールや、プロダクションの運営で、若い人たちを育ていますが、どんな心構えで、若い人たちにはいつもどのような事を伝えていますか。
A10.実際にボーカルトレーニングをしながら、生徒の若い友人の多くは、ここでは音楽をやる事自体がが幸せだという気持ちで始めるべきなのに、ただアイドルになりたくて訪れた人々がほとんど大部分です。だけれどもなれない確率が99.9 %じゃないですか……そんな友人たちに音楽を愛する人々が音楽をなぜやっているのか多くの質問をします。何故音楽を愛するか、音楽を何故やりたいと思うのか、私は音楽を身近にしたいかどうか、音楽をベースにした仕事を持っていたいと思うような人が音楽をしなければならないと、このような人々が教育を受けなければならないと私はアドバイスをしたりします。
なぜなら、歌手が目標でも、なれなかった場合はどうするのかとということでは、信じられないほど多くのケースがありますが、音楽がベースとした良い職業というのは非常に多いのです。信じられないほど多くのです。音楽の先生があり、音楽エンジニアがあり、公演のプロデューサーもいて、本当に良い職業が多いのです。しかし、それは音楽を知らなければ知らないとできないことですので、そのような良い職業も非常に現実的な仕事になることがあります。最初の歌手になるというのは夢じゃないですか一種のドリームですが、あきらめずに最後まで持っていくと、その途中いくつかの決定的なきっかけがあれば、歌手の夢が叶わなかった時には、私が事前に示した別の関心の背後にある、音楽の先生をしたり、音楽エンジニアリングにでも、そのような仕事を見つけることができるでしょう。

Q11.最後に、グルトギ読者にメッセージをお願いします。
このように誌面でお会い出来てとても嬉しいです。皆さんが皆幸せでありますように。実は、私は日本でほとんど活動したことがないんですが、今度のの公演が皆さんに一歩近づいていくきっかけになればいいなと思います。公演時に必ず来ていただいて、顔を合わせてお会いできたら良いですね。ありがとうございます。

コリアンビート編集部

5月 2nd, 2014

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